今日まで
2010年06月17日
いい天気みたい
娘は今日は保育園児と一緒に じゃが芋掘りです
早く帰ってきたら ヴィシソワーズ作るよ~
昨日 あるブロガーさんと遅くまでお話してて
寝る前に考えたのです・・・・
自分がいったいどうなりたいのかって
どうも 自分自身にも遠慮しているような そんな気がしたので
正直に尋ねてみたんですよ
結局 何になりたいかじゃなかったですね
自分に出来ることが生かせる人生にしたいなってことです
たとえば・・・
それなりの素材を使ってお料理を出す レストランで働くとしたら
作る事に興味があるけど 実際は お客様と対話して
お料理の説明とその素材のお野菜のことを話して
お口に運んでいただくという
いわば マンツーマンの アカデミックレストランなわけです
生産する側や販売する側に立って働くとしたら
ただ出荷するだけじゃなく
一番先端にいる人たち
それを調理する人たちにどう使って欲しいか
どんな食べ方が美味しいか
ただの野菜・果物で終わらない
だって命をつなぐものですから
ちゃんと食べてあげないと
「何を食べさせるかじゃなくて
どう食べさせるか」
この言葉を聞いた時
働くお母さんは凄く肩の荷がおりたろうなって思いました
お弁当の夜だってあるんですから
我が家もそうでしたし・・・
ご飯だけでも温めてあげる
インスタントでもお味噌汁をそえてあげる
お茶をいれてあげる
そこでなにかの繋がりをもって
一緒に食べることだけでも 子供は安心するのだそうです
ちゃんと愛情を感じ取れるのだそうです
テーブルに置きっぱなしのお弁当を
自分に背を向けている母、父を見ながら
1人で食べることほど 寂しく孤独なものはないですって・・・
その光景を思い浮かべると 胸が詰まります
社会の中で仕事を持った人 おうちにいる人
役割はさまざまです
ご飯を作るお父さんだっているしね・・・
子供達の“こころ”が健康である為に
健康な“こころ”のままオトナになるように
その“こころ”を育む手助けができるよう
私たち 野菜ソムリエの役割を
もう一度考えないといけないなって感じてます
食育マイスターやいろんな資格もありますが
野菜ソムリエという名前が
ただの冠に終わらないようにですね・・・はい。。。

娘は今日は保育園児と一緒に じゃが芋掘りです
早く帰ってきたら ヴィシソワーズ作るよ~
昨日 あるブロガーさんと遅くまでお話してて
寝る前に考えたのです・・・・
自分がいったいどうなりたいのかって
どうも 自分自身にも遠慮しているような そんな気がしたので
正直に尋ねてみたんですよ
結局 何になりたいかじゃなかったですね
自分に出来ることが生かせる人生にしたいなってことです
たとえば・・・
それなりの素材を使ってお料理を出す レストランで働くとしたら
作る事に興味があるけど 実際は お客様と対話して
お料理の説明とその素材のお野菜のことを話して
お口に運んでいただくという
いわば マンツーマンの アカデミックレストランなわけです
生産する側や販売する側に立って働くとしたら
ただ出荷するだけじゃなく
一番先端にいる人たち
それを調理する人たちにどう使って欲しいか
どんな食べ方が美味しいか
ただの野菜・果物で終わらない
だって命をつなぐものですから
ちゃんと食べてあげないと
「何を食べさせるかじゃなくて
どう食べさせるか」
この言葉を聞いた時
働くお母さんは凄く肩の荷がおりたろうなって思いました
お弁当の夜だってあるんですから
我が家もそうでしたし・・・
ご飯だけでも温めてあげる
インスタントでもお味噌汁をそえてあげる
お茶をいれてあげる
そこでなにかの繋がりをもって
一緒に食べることだけでも 子供は安心するのだそうです
ちゃんと愛情を感じ取れるのだそうです
テーブルに置きっぱなしのお弁当を
自分に背を向けている母、父を見ながら
1人で食べることほど 寂しく孤独なものはないですって・・・
その光景を思い浮かべると 胸が詰まります
社会の中で仕事を持った人 おうちにいる人
役割はさまざまです
ご飯を作るお父さんだっているしね・・・
子供達の“こころ”が健康である為に
健康な“こころ”のままオトナになるように
その“こころ”を育む手助けができるよう
私たち 野菜ソムリエの役割を
もう一度考えないといけないなって感じてます
食育マイスターやいろんな資格もありますが
野菜ソムリエという名前が
ただの冠に終わらないようにですね・・・はい。。。

また悲しいニュース
2010年06月10日

あなたが大切
内田美智子氏のお話にも出てきますし 著書にもこの言葉が書いてあります
お昼にニュースに耳を傾けると
また 小さな子供が母親に傷つけられたというのです
横で寝息を立てている子供に 刃物を突きつける心境・・・
その子のお母さんに何があったんだろう
毎日ではありませんが 内田氏の言葉を思い出してみたりするのです
「赤ちゃんには未来があります・・・
生まれて唯一つ決まっているのは みんな死に向かっていることだけで
死ぬこと以外は何も決まっていません」
宿命とか運命とかいう言葉を度外視したら
生まれてから死ぬまで その子は何をするにも可能性があるんですよね
いつか訪れる死が まさか自分を生んでくれた母によってもたらされるなんて
その子供だけではなくて お母さんも大切だから
悲しい結末にはならないで欲しいと思います
だって そのお母さんをこの世に送り出したお母さんも
同じ様にそのお母さんのこと 大切だと思っているに違いないですもん
どうか その子が助かってくれますように
また お母さんが笑って生きていけるようになりますように
KYなのは大人
2010年05月24日
土曜日に 内田美智子氏の講演に出かける前
久しぶりに カフェまどでランチを頂きました
娘と訪れたのは3月にカーテンの打合せで伺った時以来です
娘はキッズランチ
ご機嫌でランチを楽しんで いざ出発
先生の話の中で 「KYってあるけど あれは大人のこと 子供にKYなんていないんです」
最初は よく分からなくて・・・
「だって お母さんとお父さんが喧嘩して機嫌が悪いと 子供はすぐ察知して どうしたらこれ以上お父さん お母さん(大人達)の機嫌が悪くならないか考えて行動しますよ KYどころじゃないです」
あっ! と思いました 私も子供の頃そうだった!
私の母は 私が5歳 弟が3歳の時に父を亡くし 一人で育てていましたので
もちろん 朝から晩まで働き 自分の体は二の次
私達を食べさせ 着せて 教育を受けさせ
母子家庭だから こうなんだと 言われないように 母の意地で育ててくれていました
仕事が終わって帰宅して 機嫌が悪いなって思うと
何もしゃべらず 黙ってお茶碗を拭いたり お手伝いの真似事をしてみたり
12歳の時に家を建ててからは 2階の部屋から出ず視界に入らないようにしたり
食事の手伝いも 恐る恐る

疲れて帰って来て 色々な話をされても 多分耳を傾ける余裕なんてなかったと思います
だからといって 恨んだりなんてしてませんが 悪気があるわけじゃなく
親も一人の人間 教科書通りには子供に接することなんてできないんですよね?
講演の帰りに 所用を済ませる為 団地内のお宅へ寄った時
車から降りなくていいよ お金預けてすぐ戻るから と ドアをフェンスぎりぎりに寄せていたのです
どうしても車から降りたかったらしく チャイルドロックのないドア
すなわちフェンス側を 思いっきり開け フェンスにドアをはめ込んでしまったのです
怒ったのが正しかったのか 間違っていたのかは別として
家に戻り着替えて コソッと死角の和室に入ると ゴソゴソ始めるのです
お洗濯物を畳んで 運び始めました・・・
いつもお手伝いしてくれますが 先生の話を聞いた後だっただけに
可笑しくて 可笑しくて
知らない間に 知恵がついていた娘
私も かなり子供を叱りますし 子供対大人でなく 人間対人間として接してしまい
娘には かわいそうかなって思うこともシバシバ
だけど 朝だけは おはよう!の抱擁から始めてます
性→生→食
2010年05月23日
日付が変わったので 昨日になりましたが
念願の 内田美智子氏の講演に行ってまいりました
ご存知の方も多いと思いますが
行橋で助産師をされている方です
思いがけず 安武氏と娘のはなちゃんも来場されていて
昨年の12月以来 また言葉を交わすことができました
講演の内容は 文章にするにも 困難です
それほど 心に訴えかけるものでした
母としては 反省が大半
自分を再認識できる瞬間もありましたが・・・
安武氏の講演やいろんな出版物を読んではいても
つい日常忘れがちで 実際に話を聴かないと 改めて思い出しません
妊娠10ヶ月で出産間近にお腹の中で命を落とした子を産み
一晩抱いて 母乳を指にとり 口に運んでいたお母さんの話
中学生で数回の中絶をした女の子
居場所がないから 自分を求める人に身を預けて その瞬間満たされた結果
自分を傷つけてしまい 奇跡的な確率で生を受けた 輝きを消してしまう
自分が いかに幸せであるか 忘れてしまっていました
食に通じる性教育とは何だろう?
難しく考えていましたけど 簡単でした
命、生、を考えるのが 性教育ならば
食は当然同じフィールドにあるはずです
先生は・・・
子供の前に出される“ごはん”は 一番手っ取り早く親の愛情を感じ取れるもの
自分を気にかけてくれていると 感じ取れるもの
しかし・・・
「ごはん食べた?」と問うと 「たべとらん」と返ってくる
ひもじいやろと思い それを聞いてみると 「ひもじくはない」
「ごはんは食べなくて なぜ ひもじくないのか?」
お菓子・ジュース・カップラーメン・コンビニ弁当
でお腹を満たしていると言います
子供はこの様な食品を“ごはん”とは言わないよ
コンビニ等のお弁当が悪いとは言わない それを出すとき 何かひとつ手をかけてあげる
お味噌汁だけは作る お茶を添える ご飯をお茶碗に移して温める
それで 子供は 親を感じるのです
だから自信を持って 弁当を買ってきたらいいですよ
という様な事をおっしゃいました
何を食べさせるか どう食べさせられるか
なるほど と思いました
私も お弁当やお惣菜に頼ることもありました
私の母も お弁当やお惣菜に頼ることもありました
目いっぱい仕事して 帰ってきて台所に立つのは
本当に大変です
しかし やりかた一つで 親の愛情は弁当を食べさせられたからといって
子供に伝わらないことは無い
先生の言葉 一つ一つ ちゃんと覚えておかなくちゃ
念願の 内田美智子氏の講演に行ってまいりました
ご存知の方も多いと思いますが
行橋で助産師をされている方です
思いがけず 安武氏と娘のはなちゃんも来場されていて
昨年の12月以来 また言葉を交わすことができました
講演の内容は 文章にするにも 困難です
それほど 心に訴えかけるものでした
母としては 反省が大半
自分を再認識できる瞬間もありましたが・・・
安武氏の講演やいろんな出版物を読んではいても
つい日常忘れがちで 実際に話を聴かないと 改めて思い出しません
妊娠10ヶ月で出産間近にお腹の中で命を落とした子を産み
一晩抱いて 母乳を指にとり 口に運んでいたお母さんの話
中学生で数回の中絶をした女の子
居場所がないから 自分を求める人に身を預けて その瞬間満たされた結果
自分を傷つけてしまい 奇跡的な確率で生を受けた 輝きを消してしまう
自分が いかに幸せであるか 忘れてしまっていました
食に通じる性教育とは何だろう?
難しく考えていましたけど 簡単でした
命、生、を考えるのが 性教育ならば
食は当然同じフィールドにあるはずです
先生は・・・
子供の前に出される“ごはん”は 一番手っ取り早く親の愛情を感じ取れるもの
自分を気にかけてくれていると 感じ取れるもの
しかし・・・
「ごはん食べた?」と問うと 「たべとらん」と返ってくる
ひもじいやろと思い それを聞いてみると 「ひもじくはない」
「ごはんは食べなくて なぜ ひもじくないのか?」
お菓子・ジュース・カップラーメン・コンビニ弁当
でお腹を満たしていると言います
子供はこの様な食品を“ごはん”とは言わないよ
コンビニ等のお弁当が悪いとは言わない それを出すとき 何かひとつ手をかけてあげる
お味噌汁だけは作る お茶を添える ご飯をお茶碗に移して温める
それで 子供は 親を感じるのです
だから自信を持って 弁当を買ってきたらいいですよ
という様な事をおっしゃいました
何を食べさせるか どう食べさせられるか
なるほど と思いました
私も お弁当やお惣菜に頼ることもありました
私の母も お弁当やお惣菜に頼ることもありました
目いっぱい仕事して 帰ってきて台所に立つのは
本当に大変です
しかし やりかた一つで 親の愛情は弁当を食べさせられたからといって
子供に伝わらないことは無い
先生の言葉 一つ一つ ちゃんと覚えておかなくちゃ